全力疾走はできません

その辺にいるオタクの妄言

高校を辞めた話(4)

前回の続きから〜!ということで、転学をいたしました。県内で唯一通信制のある公立高校です。

転学に伴い、予備校に通うことにしました。ある予備校に私と同じように通信制に通っている人や高校を辞めた人向けのコースが設置されており、普通の浪人生とは違う部屋(自習室)があり、それぞれの能力に合わせた授業選択をできるようにしてある(コース専用授業も、浪人生と同じ授業も可能)、今考えてもとても環境が整っていました。

その予備校で出会った人たち……同い年も、年下も、年上もいたのですが、なんで学校を辞めたのか、何が辛かったか、これからどうしたいか……そういったことをたまに話しました。辛かったこと、いま辛いこと、そういうことを聞いてくれて肯定してくれる人たちでした。全員何かに苦しんだことがあるからだと思います。

今でもその人たちとはたまにごはんを食べたりします。ツイッターでも繋がったりしてて、たまに鬱になっていたりすると「大丈夫?無理は禁物だよ」「ゆっくり頑張ろうね」「話聞くからね」と、そういったやりとりをよくします。とても救われます。


さて、通信制に転学をして予備校に通い、大学受験に向けて動こうと思っていた矢先でした。一つ、問題が浮上しました。

高校を1年では卒業できないということがわかったのです。

卒業までに必要な単位数の量は問題ありませんでした。
問題は、体育の単位でした。
例えば、卒業までに体育の単位が7単位いるとします。しかし1年でとれる体育の単位は3単位。そして私が持ってる体育の単位が3単位。どんなに頑張っても1年では6単位にしかならない。

全部合わせて120単位で卒業できるとして、その120単位取ることは問題なくとも、たった1つ、その体育の1単位だけが足りなくて、早くて1年半かかるとわかったのです。


私は、一刻も早く大学に行きたいと思っていました。本当に、なるべく早く。
地元を出て、東京に行きたいと強く思っていました。


そこで、親や予備校と話し合い一つの方法をとりました。高校にはとりあえず通う。ただとる単位は最低限。そのぶん受験勉強をして、そして夏に高卒認定試験を受けて合格する。それで大学受験をして、合格したら高卒資格を諦めて大学進学。もしダメだったら1年浪人しつつ単位を取り切り高卒資格で大学受験。

高卒認定試験というのは、「高校卒業程度認定試験」というもので、これに合格すると高校を卒業した程度の学力を持っていると国が認定してくれる、といったものです。これを持っていると高卒資格を持っている人とほぼ同じ扱いにすること、と決まっています。

まあそれを持ってると高校卒業してなくても大学行けますし、就職のときも……まあ一応……高卒者とほぼ同じ扱いにするようにとはされてます。本当にそう扱ってくれるかは知りません。転学をしたことは事実ですし。就活のときがちょっと怖いですね。まあ自分の責任なので向き合います。

そんなわけで年齢として高3の夏。私は高認を受験して無事合格しました。


秋からの学期は、通信制の方には行かず(仮に今年で進学できなかった場合でも、来年で卒業できる単位数はあったので)、受験勉強に専念しました。

と、言っても私あんまりちゃんとしてませんでした。いや、それなりにはしたんですけど、でもやっぱり、勉強がなぜかできなかった時期を引きずってて。

まあざっくり言うと集中力がなくなってたんですね。

これ今もまだ少しあるんですが。

もともと集中が続きにくいタイプではあったんです。スイッチ入れば別でしたが。そんで机に向かうのが辛かった時期。あの頃、症状というか特徴というかなんというか、集中ができませんでした。机に向かって数学を解こうとしても他のことに意識が向かう。集中できない。例えば数学をやりながら「あれ、明日の国語ってなんの予習がいるんだっけ」「部活であれ言われたけどよくわかんなかったな〜音源聞いてみよう」「おなかすいた」「てかこの公式であってるんだっけ教科書どこだっけ」「あー教科書のこの部分」みたいな。一つの問題に向かえない。これだいぶライトに書きましたが本人としては「」と「」の間に集中しろよクソって思ってます。

それで集中を続かせることが大変苦手となりました。その結果受験勉強もガッツリやれたとは言いません。当時より今はマシとなりましたが、それでもやっぱ、集中力があるとは言えません。




大学は、4つ受けました。
1つだけ、合格しました。

嬉しかった。
みんなとおなじタイミングで大学生になれるんだ、と思いました。私のもともと通ってた高校は浪人率めちゃくちゃ高いとこなんですけど、そう思ったんです。

多分、高校を辞めるという経歴を持ってしまったことをどこかで気にしてて、大学はどうにか浪人せずに行きたかったんだな、うん。

とは言っても関東の偏差値50ちょいぐらいの中堅(と言っていいのかな)文系私立です。さぁ就活がこわいこわい!


でもその大学に勉強したいことはあったし、通ってる今も満足してます。多少の不平不満はありますけど、それはどの大学に言っても何かしら持ってたでしょう。


そんなわけで私は、通信制の高校は退学手続きを取り、高認で受験をして、大学に入学しました。

4月から無事3年生になります。このままいければ4年で卒業できそうです。


このシリーズも今回で終わりにしたいので、最後に経歴まとめを少し。

中学卒業
高校入学
高校転学
高校退学
大学入学

履歴書で私はこれだけ書きます。バイト面接で、書きます。

多分、地元じゃもう就職できないかなと思ってます。そもそも地元に今も住んでる人には負けるだろうなぁと思うし、入学した高校も転学した高校も、地元内では名の知れたところなので、事情はバレるだろうなと思うし、あとそういう、「少し普通と外れた道」に進んだ者に対して、田舎とは冷たいし厳しいです。

地元批判をしたいわけじゃないですよ。ただ事実だし、私がその地元で育ったから、私の中で今でもこの経歴を、なんというか、少し恥ずかしいとか、嫌だなとか、コンプレックスみたいに思ってる部分は確かにありますし。
最近は開き直ってますけどね。私辞めなきゃ死んでたもん。


これは苦しんでる人に安易に転学や退学を勧めるものではありません。
ただ、どうにもならないとき、そのときにこういう選択肢もあるんだよと一例として見て欲しかった。
あと私が過去を少し振り返りたくなった。

それだけです。


今、私は幸せです。
将来への不安は確かにあるけれど。

好きな勉強をして、住みたかった場所に住んで、やりたかったことをやって。

もちろん大変なことも嫌なこともたくさんあるけど、それを相殺してお釣りが出るぐらい楽しいです。幸せです。

高校生の頃は、こうなれるなんて思わなかった。このまま、ずるずる死ぬのかな、なんて思ってた。

今の、現段階の私は高校辞めてよかった!と言えます。予備校で友達に出会えたのも、今の大学に入れたのも、今、こうして生きていられるのも、高校を辞めたからだと思います。

高校を続けたとして得るものももちろんあったでしょうが、それは考えても手に入らないものなので考えません。

これからも、幸せになるために頑張るだけです。


以上が、私の高校を辞めた話でした。
最後ぐっだぐだになってすみません。
ここまで読んでくださった方が、もしいたとしたら、本当にありがとうございました。

二人で一つという呪い

あんスタクリスマスイベこと『雪花*流星のストリートライブ』お疲れ様でした。のんびり記事書いてたらもう年末イベきた悲しい。とか言ってたらもう2月でしたし3月だしまた双子イベくるから慌ててこれ書いてます。

このエントリを書こうと思ったのは前々からこっそり推してた2winkが闇だったからです。クリスマスイベント、あれハッピーエンドに見えたやつ全員殴ると思ってる程度には双子の絶望に絶望しました(自分で何言ってるかわかってない)

本当は葵ひなたと葵ゆうたが今までに関わったイベスト、ガチャスト、メインストーリー、個別諸々全部のセリフ見て精査しつつこれ書こうと思ってたんですけど、ちょっと私のやり込み具合と財力が足りないため、カンフーガチャストと今回のクリスマスイベストから読み取れることメインで書いていこうと思います。

ひたすら喚くし同じ話題ループするかもしれませんが皆さんぜひお付き合いください。

あっでも一応注意事項。私は私が読み取った2winkの話をしますし私が2winkに対して吐く言葉はすべて主観であり私の考えです。私は私のためにこのエントリ書くみたいなとこあるので、まあ、そこはご了承ください。





双子が闇だった話。

まず最初にクリスマスイベのあらすじをざっくり。今回のイベント、カード的にメインとされたグループは流星隊で、ストーリーも2wink視点と流星隊視点どちらもあります。
ですけど、今回は2winkのことについて書くのでとりあえず流星隊オンリーの視点は外して書きます。


・弟である葵ゆうたがクリスマスのユニットの仕事をチラシ(?)で探し始める。
・2winkのリーダーである葵ひなたではなくゆうたが探しているのは「ひなたはこの時期クリスマスケーキのことで頭がいっぱいだから」
・それを聞いているのは流星隊である忍。
・その後忍と共に商店街へとゆうたは出かけ、直接仕事を探しに
・ひなたはその頃、鬼龍先輩に作ってもらった衣装を受け取りに道場へ。そのにいた鉄虎が手伝ってくれるとのことで共に商店街へ
・ゆうたとひなた遭遇
・ゆうた「なぜ流星隊と一緒に仕事しているの、なんで俺には何も言わないの、アニキはいつもそうだ」
・ひなた「ゆうたくんにはこのバイトは秘密だった、鉄虎くん黙ってて、ゆうたくん違うんだよ」
・ゆうたとひなた、喧嘩別れ
・その後流星隊の力添えもあり、仲直り(?)
・一緒に商店街でライブ


このような流れです。
闇だ鬱だと言っているのはこの仲直りのときの話です。

以前から双子の成育歴はおかしいのではないか?と思っていました。
プロフィールの家族構成には父と双子。母の存在は記されていません。これは離婚や死別など、理由もあるでしょうし、特別珍しいことでもありません。
しかしカンフーガチャストにて、2人は「商店街に育てられた」と発言していました。商店街で大道芸を披露して、そこでお金をもらって生きていた、と。父親がそれに関して何かしていたかは全く出てきません。
なぜ、幼い2人が商店街で大道芸をして、それで生きていたのか。とても、とても歪な何かを感じます。


話を戻しましょう。クリスマスイベです。ここでひなたとゆうたがどう育ってきたのか、はっきりと明言されました。

ひなたとゆうたは幼い頃「ひとつ」だった。姿形はそっくりで、好きなもの、考え方、何をとっても「同じ」であった。そしてそのふたりを父親は「気持ち悪い」と言った。
サンタさんの役目を果たしていたのはひなただった。
それがひなたとゆうたの発言からわかることです。
父親がどんな人だったか、それ以外に言明されていませんが、ひなたは父親を「お父さん」と呼び、ゆうたは「父親らしき人」と呼びます。

母親がどうだったかは言われていないので、彼らが母親と会ったことがあるかはわかりません。


ひなたは、ゆうたから離れることを選択しました。気持ち悪いと言われなくなると思ったから。しかしゆうたはそれを許さず、どこまでも着いて行きました。

それが、今のひなたとゆうたです。

ひなたは、ゆうたがそのまま育てるようにと、自分の嗜好を変えるのです。辛いものがふたりとも好きだったから、甘いものを好きだと言うのです。

ひなたは「ひとつ」だった時代を尊いものと、守りたいものと考え、ゆうたをその尊いもののまま大人にしようとしたのです。


ひなたがゆうたから離れたのは、きっとひなた自身が父親からの愛が欲しかったからでしょう。自分が欲しいものだからゆうたも欲しいと考えてたのでしょう。

でもゆうたはそれを欲していませんでした。彼はひなたと一緒にいられればいい、と、そう言っているのです。

だってひなたは父親を「お父さん」と呼び、ゆうたは「父親らしき人」です。どちらが父親に愛を期待しているかはわかりきっています。

でもひなたは、自分が汚いものを全部引き受けて、ゆうたくんは「ひとつ」だった時代のまま、綺麗で尊くて美しいままでいられるようにと離れようとするのです。

悲しい、鬱だ。


ゆうたはひなたに対して、「アニキが俺に望んでるものはひどいことだ」と言います。当たり前です。たった一人の兄が少しずつ変わっていくのを、壊れていくのを、一番そばで見ていて自分だけそのままでいることを望むのだから、と。

ストーリーを読みながらそうだゆうた殴ってしまえ!と思いました。ひなたは確かに、ゆうたへの愛からそれをしているのかもしれないけれど、その愛は間違っていると。大声で叫んでくれと。

ゆうたは、でも。
「アニキがそれを望むなら」
それを受け入れると。頑張ると。そう言ってしまうのです。



絶望しました。



ひなたの行動は、父親からの愛をゆうたが受け取れるように、ゆうたが尊い時代のまま育てるように、そのエゴの塊です。ゆうたはそれを望んでないのに。
自分が我慢して、自分が譲って、自分が努力して、自分が一番大事だった「ひとつ」をゆうたに任せて、そうしてたらどうにかなると、そういうエゴです。

私は大声で言いたい。
ひなた、それは愛じゃないんだと。

ゆうたにしか、そのひなたを止めることはできないのに。ゆうたが選んだのは、ひなたのその歪んだ望みを受け入れることでした。

誰が、その選択で救われるのでしょう。

父親からの愛が欲しかったのはひなたなのに。
ゆうたはひなたと一緒にいれればそれでいいと思っているのに。





このイベントで絶望を感じたのは他にもあります。2winkとある存在の対比です。

葵家は、俗に言う「機能不全家族」でしょう。機能不全家族で育った子供の特徴はいくつもひなたに、そしてゆうたに当てはまります。父親からの愛がなく、母親の姿はなく、そんな家庭で育ったのでしょう。2winkは、歪んだ育ち方をした、共依存の関係の2人が組んだユニットです。

クリスマスイベントでもう一つのメインユニットだった流星隊。この流星隊はとても良い関係の疑似家族に思えました。
ユニット内の3年生は1年生を「こどもたち」と呼びます。2人の親と、3人の子供の、疑似家族。親は子供へと愛を注ぎ、成長を促し、引っ張り、子供達は親に尊敬と情愛の念を抱いている。なんて幸せな家族でしょうか。

2winkは本当の家族で、流星隊は疑似家族のはずなのにね。


そしてもう一つの対比。

このイベントになぜか流星隊でも2winkでもなく出てくる伏見弓弦です。
私はなぜ彼が出てくるのか、最初わかりませんでした。これだけよくできたシナリオなら、彼である必要性があったのではないかと。

少し伏見弓弦という人物について考えてみたいと思います。
彼は姫宮桃李に仕える存在で、そのことを彼自身の誇りとして、使命としています。

それは、そう育てられたからかもしれません。彼自身が望んでいるのかもしれません。わかりませんが、彼にとって姫宮桃李を立派な人物にすることは人生の意味でもありました。そして、それが彼自身の幸せであると心から思っていました。

修学旅行イベで、彼は自分自身の楽しみを求めることを知り、そんな自分を受け入れることもしりました。


彼の、葵ひなたとの共通点は、誰かに尽くし誰かのために生きていること、です。
しかし伏見弓弦にとって姫宮桃李のために生きることは姫宮桃李本人のためになることで、そして彼自身も心から望むこと。
葵ひなたにとって葵ゆうたのために生きることは、ゆうたにち望まれておらず、そしてひなたの望みをゆうたに託したかたちであること。


似たような生き方の選択のはずなのに、正反対です。



この対比。ひなたとゆうたの歪みを浮き彫りにするこの対比。とても辛かった。







これ書いてる時期バラバラなせいで自分でもよくわからなくなってきました。読んでくださってる方これ伝わってるんでしょうか。


とにかく、まとめに入りたいと思います。

クリスマスイベントで2winkの浮き彫りになった問題。それは共依存です。

ひなたはゆうたのためだけに生き(そしてそれは自分のエゴが入ったかたち。ゆうたへの自己投影をかなりしたかたち)ていて、ゆうたはひなたの望むものをすべて受け入れひなたの望む自分へとなろうとする。

2人の、本当の2人の望みと意思はどこにあるんでしょうか。

ゆうたが父親を「父親らしき人」と呼べるのは、ひなたが愛情をたくさん注いでくれたからかもしれません。ひなたが父親を「お父さん」と呼ぶのは、誰も自分に愛情を注いでくれなかったからかもしれません。(この場合の愛情は、保護されている安心感といったものを含めます)


双子で、どんなにそっくりで、意思疎通ができても、それぞれ独立した人格で独立した考え方を持ち独立した幸せがあり独立した歩き方があることを、ひなたとゆうたには伝えなければなりません。


ひなたがゆうたのために汚れる道を選び、ゆうたがひなたの望み通り綺麗になったとしたら、もしかしたら2人の間では満足する、幸せな世界が完成するかもしれません。
ひなたはゆうたに強い自己投影をしていて、ゆうたはひなたのために生きていられるのですから。

とても狭くて暗くて絶望の漂う、幸せな楽園が完成することでしょう。


それで本当にいいのでしょうか。

その楽園が完成したとき、ひなたは、そしてゆうたはどうするのでしょうか。


彼らはそっくりな双子であったために、「ふたりでひとつ」を唱えて生きてきたのでしょう。

二人は、二人でしかないのに。

二人で一つだったときを何よりも美しく綺麗だったと思いそれを達成しようとする。

これを呪いと言わずになんと言うのでしょうか。





さて、3月の返礼祭。始まりますね。

二人が、二人として生きていける選択をしてくれることを本当に本当に望んでいます。


しっちゃかめっちゃかな文章で申し訳ありません。3月イベ走り終えましたらきちんと、今回の記事も含めて2winkという存在についてまとめてみたいと思います。



≪追記≫

返礼祭についても書きました
「二人で一つ」を選んだ双子(返礼祭を読んで) - 全力疾走はできません

『KING OF PRISM by Pretty Rhythm』を見た話。

キンプリこと『KING OF PRISM by Pretty Rhythm』、初見のくせに応援上映キメてきました。

世界は、輝いてるね。


そもそもキンプリを私が知ったのは、1月末頃(さっき調べたらもともと1月29日まで上映の予定だったそうですね、なので本当に終わる時期)でした。ジャニオタの方や、その他、とにかくいろいろな方のレポブログレポ漫画がツイッターのTLに流れてきました。

その時は「なんかすごいのあるんだなぁ、私よく知らないからなぁ」と思ってました。


そのキンプリが、私が1話から見ているプリパラと同じ系統(プリパラがプリティーリズムの続編に近い)と知ったのは2月になってからでした。

えっ、見に行こうかな?

次にTLに変化が起きました。
それまではただレポが流れてくるだけだったのが「キンプリはいいぞ」「キンプリを見てください」その言葉を毎日見るようになりました。

えっ、なんなの?

現在の私のTLはうたプリクラスタとメスゴリラ(防衛部クラスタ)とスタミュの女とあんスタ勢の勢力がいます。まあ私がその辺をフォローしたからですが。

その辺がみんな見に行くのです。

そして見に行けと言うのです。

逆にキンプリ好きな人は防衛部も見よう絶対好きだから!といったツイートまで見かけるのです。

なぜ私は見に行っていないのか?とまで思い始めました。


しかし、なかなか1人で行く勇気が出ませんでした。
どうしよう、どうしよう。


行きたいけど勇気が出ない、そんなときある友人と遊びに行きました。ぽろっと、キンプリ見たいんだよね、とこぼしました。面白かったりわかりやすかったレポ漫画を読ませました。

「この応援上映ってのが面白そう、行きたい」

応援上映参戦が決定いたしました。



そして今日、見てきました。

応援上映はキンプリヤクザかエリートしかいないのでは……とレポ漫画で予習してきた私はビビってました。実際映画館を埋めていた人々は光る棒と薔薇を持っていました。

私と友人はとりあえず百均に行き、解説画像を見てとりあえず、1色(私は赤、友人は青)の光る棒を買いました。



そして、キンプリが始まりました。

あのね、私、一応予習してたんです。

タカラトミーアーツに感謝するとか。
いい返事!とか。そうだそうだー!とか。嫌いな食べ物とか。格ゥ!とか。自転車とか。EZDodanceとか。学○へ行○う!とか。
いっぱい予習してたんです。

ぽかーんとして、笑って、なんか萌えて、興奮して、予習が頭から吹っ飛びました。

気がついたらエンディングで、歌ってました。

コウジに行かないで!って叫んでました。

光る棒を振ってました。

最後に監督に感謝してました。



世界は輝いていて、美しかった。


未見の人に何があったかを説明しますと。ネタバレしない範囲で言いますと。

プリズムショーというライブのようなもの(歌とダンスとおしゃれ衣装とプリズムジャンプというフィギュアのようなジャンプ)が存在する世界で、それを初めて見たシンがそのプリズムの世界へ飛び込むお話と。

そのシンが初めて見たプリズムショーをしていたOver The Rainbowがとある困難に立ち向かっていくお話。

これが目の前で展開されていくのですが。

えっと……なに話せばいいんだろう……

プリズムの輝きを全身に浴びたと言えばいいんでしょうか……?

なんか裸をいっぱい見たような気がするし、熱いバトルも見たし、色々な男の子がいて、みんなそれぞれ努力してて、考えてるとこがあって、そんで。

笑えるシーンも、熱いシーンも、萌えるシーンも、燃えるシーンもあって。

とにかく、時間が過ぎるのがすごくすごく早くて、見終わってから世界は美しいんだ!と思う、そんな作品でした。



誘った友人は上映が終わってなぜかしばらく立てなくなってました。そして

「次の応援上映いつ?」

なんて言ってました。

私も同じ気持ちだったのですが、オタクではあるけどアニメは実はそんなに見なくて、ついでにアイドルアニメには全くハマらない友人がそんなことになっていることがヤベェってなぜか冷静になっていました。


見終わって、すごく明るい気持ちになりました。

明日からまた、この輝いている世界で頑張ろうと、生きていこうと、そう思いました。


本当にたくさんの人に見てほしい作品でした。


一応、初見応援上映のメリットデメリットをまとめてみようと思います。

*メリット
・普通上映よりも楽しめる(笑い声も萌えた声も歓声もあげられる)
・まわりのエリートの声に支えられるしなんか盛り上がれる
・プリズムショーで光る棒降るのめちゃくちゃ楽しい……楽しい……

*デメリット
・急によくわからない世界に入るからテンションについていけないと大変
・歓声で一部セリフが聞こえない
・展開がわからないので一体感を味わうのは難しいかも


普通上映を見てから応援上映、が一番おすすめではありますが、いや応援上映を楽しんでみたいんだ!とかお金が本当になくて1回しか無理!という方は少し予習してから行くといいかもしれません。


とりあえず私と友人は「ちゃんと光る棒振りたい。もう一度あの世界を味わいたい。」という理由でもう一度行くことにしました。


最後に、多分みなさま何度もご覧になっていて、ありふれた言い方で、もしかしたら陳腐ですらあるかもしれませんが、言わせてください。
もしよろしければ、ご唱和ください。


キンプリは、いいぞ。

高校を辞めた話(3)

さて、前回のお話は2年生にあがってすぐ心がぺしゃってなったお話でしたね。
あの程度で潰れるなんてメンタル弱すぎwwwと思われるかもしれませんが、いやそれはある意味正しいのですが、当時は一度潰れて必死に再建しようとしてるところでの圧力だったため簡単にぺしゃっとなってしまいました。

ぺしゃっと潰れたとは言っても、2年生になって心機一転頑張らなければと必死でした。クラスに馴染まなくちゃとか、勉強についていこうとか、そして部活に後輩ができたりとか。


書きやすいことから書こうと思います。部活について。

私の年はトランペットは不人気(第一希望は私だけ)だったのですが、一つ下は数人第一希望がいました。その中に1人、めちゃくちゃ上手い男の子がいました。トランペット歴がまず長い(多分、小5で始めた私より1年長かったと思います)。高音はよく出るし音もいい。楽譜の読みも正しいし、センスもある。一年生ながらも上のパートや難しいフレーズの曲を任せられる技術を持っている。素晴らしい後輩くんです。
すぐには関係ないのですが、この後この後輩くんの存在は、私の進路を決めるときに少し、影響してきます。

その子以外にも、パートに関わらず可愛い後輩がたくさんできて、私が絡みにいってもにこにこ対応してくれるいい子達ばかりでした。頑張らなくちゃ、そう思ったのを覚えています。一つ上のお世話になった先輩方にとって最後の大会が夏にある。一つ下ができたということは、私たちの年が引っ張る必要もでてきてる。しっかりやろう、そう思いました。



勉強について。
一年生であんだけできなかった人間が二年生になったところでできるわけがなかった…………てだけですね。課題や予習はやっぱり人並みもできませんでした。でも、一番ひどかった時期よりは、やってました。ちょっとだけだけどね。


クラスについて。
ここにきて初めてクラスが重荷になりました。実は1年の時は同じクラスに吹奏楽部がいなかったのですが、2年生では数人いました。これがある意味プレッシャーで仕方なかった。私がボロボロなのがバレる、と。
最初の、あの、どのグループに属するかみたいな探り合いの時期もすぎて、私は同じ吹奏楽部の子と、クラスでも責任感が強くて優しい子と、一緒にいるようになりました。

最初のうちは、学校にもなんとか行ってましたが、少しずつ少しずつ遅刻が増えていきました。少しずつ遅刻が増えたり、休んでしまった次の日は教室に入るのが怖くて仕方なくて、授業が始まる前のざわざわしたときに滑り込んだり、しばらくトイレに身を潜めたりしてました。でもまだ最初の時期はそんな重症じゃなくて、たまに、ほんとにたまに怖くて入れなくなる、そんな感じでした。どう、クラスの人たちから見られてるのかと思うと、怖かった。



新しい病院に行きだしたのが、多分、5月とかだったんだと思います。6月かな、7月かもしれない。覚えてないや。そこは薬の処方をきめてくださる先生がカウンセリングのようなこともしてくれるところで、なんとなく相性も良かったらしく、苦痛ではありませんでした。多少、前向きにもなれました。

頑張らなくちゃ、そう思ってたときに、また、何もできなくなる事件が起きました。



6月、だったと思います。多分、テスト前で部活禁止だったとき。いや、部活してたかな。同じグループの吹奏楽部の子と一緒に、教室を出て、靴を履き替えて、そして、その子からすごく言いにくそうに切り出されました。

要約すると「あなたとクラスで一緒にいたくない」と。

いえ、こんなに強い言い方はされてません。あなたが嫌いなんじゃないの、ただ人には波長とかがあると思うの。それがなんとなく合わないなーって思うの。だから、だからね、クラスでね。

そんな感じの言い方でした。

実は少し前から嫌われてるのかな、と感じてました。よくその、吹奏楽部の子をAさん、グループのもう一人をBさんとすると、やっぱり二人でいたがってたし。なんとなく、感じていたけど、私はそこ以外に居場所がないとも感じていました。いま、このグループを離れても、私はどこにもいけない、と。

課題をやってない後ろめたさ、テストがボロボロなこと、休みがちだったり遅刻をよくすること。そういった面をどう見られてるのかわからなかったし……裏で何か言われるのでは、という、そういった感覚もありましたから。私が唯一いれたそのグループは、AもBも裏表がないタイプ、悪口を言わないタイプと知っていたからでした。


だから、Aにそれを言われてるとき、やっぱりなと思いました。明日から一緒にいられないなと思いました。

ごはん、どうやって食べよう。
誰といたらいいんだろう。
どんな目で、見られるんだろう。

怖くて仕方がなくて、なんていうか、すみません覚えてないや。

次の日私は学校に行けてたのかな。


わからないけれど、とりあえずその後も学校には行ってました。少しずつ教室に入れなくなり、また課題や予習ができなくなり、そんな感じだけど、でもギリギリ学校には行ってました。ごはん、どうしてたっけ。覚えてないです。一人で食べてたわけじゃなかったと思う。トイレで食べてたわけでもない。どこかにこそっと入れてもらってたかな。迷惑だったかもなぁ。


一年生の頃より記憶が残っていないので、本当に精神的にきつかったんだと思う。でも学校に行って、部活に行って、それはちゃんとしてました。そこから離れることを考えることすらできなくなってきていました。ただ、この頃から部活を逃げ場所にできなくなっていきました。原因は、色々だと思うけれど。

多分、この時期から、トイレに引きこもることが増えたのかな。

遅刻して行って、授業の途中でクラスに入る勇気はなくて、人があまりこないトイレの個室に篭って、じっと次の授業が始まるのを待って。たまにその次の授業に出るのも怖くてそのまま1時間そこで過ごしたりもありました。部活には出なきゃいけないから、どうにか途中で抜け出してクラスに入るんですけどね。

あと多分この頃に、同じ部活の違うクラスの子に「学校で見る時と部活で見る時全然顔違う!学校で見ると心配になる。」と言われたと思います。私、どんな顔してたんだろう。


吹奏楽部の大会が終わるのが7月末ぐらい、そのあと定期演奏会が夏休み明け(本当はまだ夏休みだけど夏の全員受ける補講が再スタートのとき)でした。

定期演奏会まではきっちり出ました。その日出さなきゃいけなかった課題出せたか考えると出せてなかったと思います。

先輩が引退して、私はトランペットパートのパートリーダーに指名されました。部活全体の役職としてはそれから楽譜係。

頑張らなくちゃとまた思いました。私が、このパートをしっかり導かなくっちゃ、と。学校もちゃんとこなさなくてはと。部活だって、もう最高学年なんだから、と。必死でした。

必死なはずでした。

それでもやっぱり休みがちだし遅刻しまくるしトイレに引きこもることも多々ある、正しい生徒とは言えない状況でした。

もう純粋には楽しめなくなった部活のためだけになんとかやる気を続かせて、それが折れたのが、多分9月の体育祭の後でした。体育祭まではちゃんと頑張ってました。私覚えてる。

ここからさらに記憶が曖昧です。本当に覚えていない。時期もあやふや。なので、覚えてることを1個ずつ書いていきます。


・多分、夏休み明けてから、またいつものように遅刻してきてトイレに引きこもっていたところ、保健室の先生に見つかりました。体調が悪いことにして保健室で休みました。多分、2回、見つかった、んじゃないかな。

・担任と相談をして、しばらく相談室登校(保健室の隣にそんな部屋がありました)となりました。そこは私と同じように、教室に入れないとなった生徒がきて勉強してました。この授業は出れる!と思ったら出るようにと言われましたが、多分最初のうちはずーーーっと相談室に引きこもってました。全員で、3人か4人いました。

・県内の唯一の公立で通信制のある高校への見学を親に引きずられて行きました。

・親に、今どう思ってて、何が苦しくて、何が辛いのか、打ち出したものを見せました。ツイッターに書き散らしたものを、ガラケーのメモ機能でまとめて、それを見せたんじゃなかったかな。病院の先生にも見せました。

・春から通信制高校への転学を希望しました。

・親と病院の先生、どちらからも承諾されました。

・多分、担任に親が話しまして、私も担任と話し合い→「各教科の先生と話し合う(教室にいけない、転学をする、どうしたら単位をとれるかの相談)」ことが決まりました。

・5教科はちゃんと相談しにいったんですけど、体育、体育の先生本当に苦手で、ダメで、怖くて、ていうか多分私は5教科相談したら満足してしまって、体育は授業にも出ないし相談もしない、という状況になりました(結果、単位もらえませんでした)


まあそんなこんなで、私は快適な相談室登校ライフを送るようになりました。言われた課題をこなしたり、授業にきてほしいと言われた授業にはなんとか出席して、その授業が終わった瞬間相談室に戻って。

相談室には面白そうな本がたくさんあって、それをこっそり読み漁ってました。ソフィーの世界とかあったよ、面白かった。

学校辞める、と決めてからは、なぜか少し学校に行きやすくなってました。本当に不思議なことにね。前より笑えるようになったし。記憶もちょっとずつしっかりしてるんですよ、この辺から。

部活には、転学すると決めた時点で顧問に話に行きました。顧問の先生は受け入れてくれて、ただ、卒業式の演奏はしてほしい、あと指導はしてほしいと。その頃トランペットでなんだかんだ指導できるのは私だけ(うまい後輩くんはいるけど、私と同学年の子に指導できるかは別)だったので。

だから多分、卒業式の演奏はしたはずです。練習に参加した記憶もあります。ただ、クリスマスの演奏も一緒にした、と思います(曖昧)。一つ絶対に参加してないのは、冬頃に毎年やっていたアンサンブルコンテスト。部活内でメンバーを組んで先輩方も呼んで行うコンテスト。優秀グループは県のコンテストに出場、というもの。これ、一緒に曲考えたりしてた気がするんだけど、出てないなぁ。なんでだろう?多分、相談室になってぽつぽつ部活に行かなくなってたんだと思います。

部長なんかには自分で辞めることを告げました。次の年のコンクールの曲を決める前に伝えなければと。私はもう戦力になれないと伝えなければと。思ったので。



そう、そういえば転学を決めた理由をきちんと書いていないですね。

苦しくて辛くて、2年生になっても仕切り直せなくて、そこで、通信制という新たな道が見えて。心が揺れました。もう、この環境から逃げ出してしまおうか、と。

1年生の頃だったら。部活がでもあるし、と言ってた気がします。言わなかったのは、前述した、うまい後輩くんの存在です。私がいなくてもトランペット大丈夫だな、そう思ったんです。

今、このままここにいても、多分自分は頑張れない。もう授業についていくのが厳しいのに、受験となったら多分耐えられない。ていうか対策できない。自分の将来について、前向きな検討ができない。転学するって言ってもやだなんて言ってくれる友達もいない。私はここにいても無価値だってことが突きつけられて死にたくなるだけだ。だから、やめよう。やめなきゃ、私は、多分死ぬ。

そう思って、決めました。このシリーズの(1)でも書いたように、私は私でいられる時間が必要でした。甘えてると思われるかもしれませんけど。部活がその時間とは言えなくなって、学校という存在そのものが恐怖となっていって、あと1年、ここで頑張るのはもうできない、そう、強く感じました。


その後の、2年生後半はけっこうあっという間に過ぎていった気がします。転学手続きをすませ、相談室登校でごまかしながらですが単位をある程度もぎ取り、部活もある程度引き継ぎをして、そうして、春になって、3年生に上がるとき、私はそれまで通っていた高校を辞めて、新しい道へと進みました。



区切りがいいので今回はここまでかな。次回は転学後の話。まだちょっと続くよ!