読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

全力疾走はできません

その辺にいるオタクの妄言

高校を辞めた話(1)

高校を辞めたシリーズ

以前書きましたこちら
自傷について考えてみた話 - 全力疾走はできません

高校在学中に辛かったって話しかしてないのでちょっと色々振り返ってみようかなっと。ある意味自分のリハビリです。

あと友人の高校生が苦しんでたのでその子も含めて、こんな道もあるんだよという一つの道を示せたらな〜と思います。

ただまあ就活の時にどうなるかわかんなくて私自身ビクビクしてるけどなガッハッハ!

ざっくり言うと高校辞めたってお話。





小学校、中学校と私は優等生でした。

自惚れでもなんでもなくて、体育は苦手だったけれど他の教科は基本的に5段階評価の5。テストがあれば5教科総合はちょっと強すぎる相手がいて2〜3位をうろうろ。9教科総合はほぼ毎回1位。
中2から通い出した塾でも、そこで受けた模試でもそれなりにいい位置にいました。

優秀だった、と思います。親の教育のおかげかもしれませんし、遺伝子のおかげかもしれませんし、まあ理由はわかりませんが、とりあえず優秀でした。

とりあえずまあ優秀だった私は、中学で下っ端とはいえ生徒会に入ってて、部活の副部長をやって、県内トップの公立高の推薦入試を受けたいと希望しました。

希望者から中学校内で推薦する(できる)人を選ぶわけですが、とりあえず優秀だったからなのか、私が三者面談で「とりあえず推薦入試ってものを受けてみたいだけなので落ちても落ち込みません!」と宣言したからか、もともと能天気なキャラだったからか、あとはまあ同じ高校の推薦入試希望者がいなかったこともあって受けられることになりました。推薦する理由はめちゃくちゃ弱いんだけどな!生徒会推薦(下っ端)て扱いだった気がする!

結果は合格でした。
多分親も、学校の先生も、塾の先生も、自分自身も合格すると思ってませんでした。え?まじ?みたいな反応ばっかだったし。

その反応にも理由はありまして。私の地元においてその高校の「ブランド」は絶大でした。田舎において「地元の高校」「地元の大学」のブランド力は絶大です。下手したら県外出身の有名大学卒よりも。

たとえば、母は出身地が違うのですが、私の地元に就活でやってきたときに「高校」についてよく聞かれたと言っていました。母は3年制の短大を卒業し医療系資格も持っていたのですが、その短大についてではなく高校。しばらくこちらで過ごすうちにその「トップ高校ブランド」があるからか、と気がついたそうです。

もちろんその時から年月はたっています。多少、ブランド力は弱まっているかもしれません。でも、あります。今でもあります。

歴史と伝統のある高校であること。県内トップであること。(おそらく)外からその高校の生徒に対して持っているイメージは「頭脳明晰、成績優秀、品行方正な生徒たち」でしょう。

ただそれは、外からだけでなくて中にいても求められるものでした。

「トップ校生(学校の名前で言ってましたよ)としての自覚を持って」
「トップ校生として恥ずかしくない行動を」
「あなたたちはトップ校生なんだから」

入学して私は少しずつ笑えなくなりました。


毎日の予習、課題、求められるハードルの高さ、まわりは常に自分より優秀。

そんなことわかってました。入学する前から知ってました。

でも、苦しかった。

頑張っても頑張っても終わらない課題。深夜まで予習して、朝起きて学校に行き、授業を受けて、部活をして、帰って疲れていても明日の予習。

当たり前です。普通の高校生なら誰でも立ち向かう問題です。それは、わかってます。ただ、私はどうしても適応できなかった。

私が中学まで優秀でいられたのは、そこまでの範囲は大した努力をしなくても理解できてわかったからでした。

もともとだらしなく、勉強は好きだけど宿題は嫌い。無駄な努力はしたくない。頭を回すことは得意な方だけど、要領は良くない。そういう性格です。

決められたパターンで必ず予習をしなければいけないこと、進むスピードが尋常じゃないこと、理想を持たれること。全部苦しかった。

もともとトップ校は「宿題が少ない」と言われてました。大嘘でした。それは昔の話。
昔は本当に少なかったそうです。
増えた理由は某トップ大学への合格人数が減ったこと。

当たり前です。昔より高校増えてるんです。私立にも進学コースができました。県外の高校に行く選択も増えました。
本当に優秀な子は中学受験して外に行ったりもします。

減ったから、宿題を増やして、強制的に勉強量を増やす。私は挫折した人間だから、言う資格ないけど、なんとなく違うんじゃないかなと思ってます。

そんなにトップの子たちだと言うなら、最低限の宿題を与えて自由な時間を増やしたほうが、自分の苦手分野や逆に得意な分野を学ぶ時間に使えるし、その方が良いんじゃないかなぁと。その力がある子たちのいる学校だったと思います。

とりあえず、私は要領も悪いしなんとなく押し付けられてる感が気持ち悪かった。でも、でも私は憧れてその高校に入ってました。

私は求められる高校生になりたかった、ならなくちゃダメだと思ってました。

だってそれがこの高校に入った私の義務だとすら思ってました。


多分、もともと完璧主義、理想主義に近いものを持ってるんだと思います。
「こうでなければならない」みたいな意識。いい子でいなくては。尊敬されなければ。そういった感じの。

その高校に入った私の理想像はその、高校が求めてくる人材でした。だって単純にかっこいい。アニメに出てくるみたいな、成績優秀で品行方正な憧れの美人の先輩みたいな。そういうのにちょっと近づけそうだし。単純な理由だったけど、それは重く私にのしかかってました。

平日は予習に追われて、土日はゆっくりする暇もなく課題をして、また平日を迎えて。疲れて眠ってしまった日の起きた時の絶望。毎日毎日、何かに追われてるような感覚を味わってました。


そうやって私は、自分で自分を追い込んで壊れていきました。

手を抜こうと思えば抜けたと思います。教科書の解説書買ってもらって、それを片手にやるとか。課題のわからないとこは潔く諦めて答え見て赤で書いちゃうとか。でもあの頃の私が憧れたのは、私が私に求めたのは「完璧な生徒」でした。そんなことできませんでした。


少し話が逸れますが、私はもともと読書が何よりも好きでした。小学生の頃から図書室に通いつめてたタイプ。あと漫画とアニメも好きでした。そして部活は吹奏楽で、音楽も好きでした。

高校に行ったら、吹奏楽部に入ること。あと図書室に行くことが楽しみでした。


実際に入学してから、部活はできましたが図書室にはなかなか行けませんでした。ていうかほとんど。そんな時間なかったんです。

授業が終わったら部活、部活が終わればもう図書室は閉まってる。授業間の休み時間は終わっていない予習や課題に追われるか移動教室。もう、本当に行けなかった。


今でははっきり自覚してることですが、私が私でいられるときって、読書したりアニメ見たり表現物に触れてるとき、それか歌ったり踊ったり自分自身が表現してるとき、なんですね。私はそう思ってるんです。

まあ、なんというか、その私が私でいられる時間がほとんど消え去りました。

部活がかろうじてそうでしたが、通ってた後半になるとその部活すら義務感が伴い、純粋な表現の場にできなくなってました。


苦しかった。

後から母に聞いたことですが、6月ぐらいから私の笑顔が減り、少しずつ睡眠時間が長くなり、でも夜なかなか寝付かず、それもあり朝起きるのが難しくなっていました。ちょっとずつ、ちょっとずつ。

とにかく頑張らなくちゃと思ってました。推薦入試で入ったんだ。部活でもある程度期待されてる(私がうまかったとかではなく、私のパートに同じ学年で私しか経験者がいなかった)。親だって完璧な私の方が嬉しいだろう。頑張らなくちゃ。やらなくちゃ。

そうやって必死に、必死に、なんとか夏休みになりました。

まあ夏休みと言ってもほぼ休みはなかったんですが。

唯一なくなったものは予習ぐらいなものでした。いや、教科によっては予習あったな。

夏休み、成績に関わらず「補講」が行われました。そういう学校でした。午前で終わるとは言え平日毎日。その補講がないのは1〜2週間。宿題は、いつもより大量。そしてこれは私の勝手だけど吹奏楽は夏休みにコンクールがあるので部活も毎日。

やっと1学期が終わって気が抜けたのかわからないんですけど、私は課題に向き合えませんでした。

やろうとするんです。補講終わって、部活して、帰ってきて、やらなきゃって。課題を見るんです。全然進まないんです。文章を読んでも、計算式を見ても、どうしたらいいかわからない。頭に靄がかかったみたいでした。必死に必死に泣きながら解いても、量も量だし明日も朝早いしで寝る時間には寝なきゃいけない。夏休みで時間があるでしょ、っていつもより難易度高い問題を出されてたこともあるかもしれません。有名大学の入試問題なんて解けないよ。しかも答えもヒントもない状態で終わらせてこいなんて。答えの配布は夏休み後半の補講でなんて。いや、終わらせてる生徒が大半だから私が悪いんですけどね。でも1学期でボロボロになってた私は夏休みになってシャーペンを握ることすら辛くなってました。


まあ結果はお察しで、課題全然終わらなかった。しかも当時「手を抜くことは絶対悪」だとなぜか思ってました。数学のわからない問題の配布された答えを見るのすらなぜか罪悪感がありました。私この問題5分しか考えてないじゃない、1時間考えたらわかるかもしれないのに。答え見る前に全部の手は尽くした?
あと理科で出されたのが配られた課題図書(理科的な疑問がいくつも載っててその答えまで書いてある)を読んで、気になった問題をまとめるって課題。課題図書は配られたその日に読み終わってました。でもなんでか、私はそこから気になったのをピックアップできなかった。どれを選べばいいかわからなくなってたんです。特にないなら適当に選べばいいのに。適当に選んじゃダメだと思ってた。今考えるともうおかしくなってたんだなぁ。


そうやって課題の提出全然できない(まあ当たり前ですが怒られるし後から提出しましたが)という最悪な始まりの2学期。それは、ちょっとずつ学校に行けなくなる始まりでした。


学校に行くのが怖い。となりだしたのがこの時期です。1学期はだるいな、嫌だな、ぐらいだったのが、この辺からは強く嫌だ怖いと思い出してました。夏休みの頃の靄を引きずってて、予習も課題もなかなかきちんと終わらなくなってました。

学校に行けば必死に空元気にしてはいたけど。別に特別仲の良い友人もいなかったし。こういった辛さを話すこともできなかった。

あ、友人に関しては多分私の性格と育ち方によるもので。親が転勤族だったことで私の友人との付き合い方の根底にある意識って「いつか別れる」なんです。どうせいつか離れ離れになる。みたいな。だから私は相手に重い存在になりたくないしなれない。あと私が私でいては受け入れられない。て意識。これは多分、昔から「いじられキャラ」で、それは元の性格もあるけどそれを求められるうちにそういう風に飾るようになったことも多分関係ある。そんで、今でも唯一無二の友なんて信じてない。私が誰かを一番に思うことはあっても、誰かが私を一番に思うことなんてないんだろうなぁ、って漠然と思ってる。うわ〜〜〜〜〜〜きちんと言語化すると改めて悲しい人間ですね!!!!!!!!そんな人間に唯一無二の友なんでできるわけないんですよね!思わなきゃ返してもらえないものなのにね!

あとグループに所属ってのが微妙に苦手で、できることなら色々な人としゃべっていたいタイプで。だから高校での「お弁当」が始まって絶対にどこかのグループにいなきゃいけない状態ってなかなか苦痛だった。

まあクラスでもそんな感じだった私はクラスに入るのも怖かった。いじめられてたわけでもないのに怖かった。

私が予習とか課題を終えられてないこととか、遅刻をするようになったとか、休むことが増えたとか、そしてその休みは大きな課題のある日であることが多いとか、そういう諸々。そういう諸々はクラスメイトにどう思われてるんだろう。そう考えて怖くて仕方なかった。

だって完璧になりたかったのに。完璧どころか、悪い生徒(このときそう感じてました)になってしまった。誰が私をどう見て、どう感じてるかわからない。怖い。

お喋りする友人はいても、絶対にこの子の一番の仲良しって存在がいなかった私にとって、まわりは私に悪意……とはいかなくても、何かしらマイナスの感情を持っていると考えるようになりました。


そうして休む頻度が増えても学校を辞めるという選択をしなかったのは部活があったからでした。

前述した通り、私は吹奏楽部でした。そして同じパートに同じ学年は私含め3人。3人いましたがその楽器の経験者は私だけでした。一つ上の学年は1人。もう一つ上、3年生はこの時期には部活引退してました。

辞められなかった。例えば、部活を辞めて時間を作れば高校に適応できてた可能性かなりあると思います。でも、部活も、高校も辞められなかった。それはすごく無責任なことだと思いました。

だって私しか経験者いない。いま辞めたら先輩に迷惑がかかる。同じ学年の子も、才能ある子はいるけどそれでもやっぱりまだ頼りない。安定して吹けるメンバーは私と先輩だけでまだフォローが必要。その状態でやめる?ただでさえクズなのに辞めれるの?それに部活だけ辞めて私高校に行ける?多分、吹奏楽部の子の目線が怖くて行けなくなる。

そんな感じで、部活をやめる選択もできなかったし、高校を辞めるなんてそんな、そんな「一般的な道」から外れるなんて怖いことできなかった。


母が、高校を辞めてもいいんだよと言ってくれたのは確かこのあたりだったからだと思います。辞めてもお母さんはいいと思ってるよ、そんなに辛いなら辞める?そう言ってくれていました。

そして通院しだしたのも多分このあたり。夏休みあけて、少ししてからでした。

本当は一気に書き上げようと思ったんですけど、なんと驚きもう6000字なんだって!予想以上に長くなるみたいなのでこの辺で。続きをまた書きます。