全力疾走はできません

その辺にいるオタクの妄言

寛容であるということ

 

私は常々、寛容でありたいし社会や世界がもっと寛容であればいいのにと思ってて

 

 

何に対してもなんですけど

 

趣味、私生活、生き方、職業選択、恋愛、服装、話し方、考え方、感じ方………

 

そういった諸々に対して寛容でありたいなと思ってて。

 

寛容でありたい、は少し言葉のチョイスが違うのかな、個々の個性を尊重する、なのかな。でもイメージとしては寛容って言葉が1番しっくりくる気がするんですけど

 

 

最近悩むのが、寛容でありたいけど、その寛容さはどこまで持つべきかみたいなところで。

 

 

基本的にはミルの自由論の考え方に則っているので誰かに実害を与えなければ好きにしていいしその自由は認められ守られるべきだと思っているんですけど

 

じゃあ実害って具体的に何なのか (金銭的、身体的、権利的なものに限定すりゃわかりやすいんですけど) (そういうわかりやすいもの、犯罪等に寛容である必要はないと思うんですけど)

 

 

例えば、現在の社会で差別的だとされる思想を持っている人がいたとして、その思想に対してどういう立場で寛容であればいいのかみたいな。

 

否定はしないけど、拒否はする。その考えは私には理解できないと言う。それでいいかなとは思うのですが、うーん、なんか違う気がするみたいな

 

 

でも多分この私が違う気がすると思ってしまうのは心のどこかでその差別的な考え方を否定したい、間違っている、正すべきだみたいに思ってる部分があるからだと思うんですよね。

 

差別的な思想であると気がついていない場合はそれを指摘したいし、なんならその思想をやめさせたいみたいな

 

 

元々の性格が過激派戦闘民族みたいなところあって違うよ!と思ったら徹底抗戦しちゃうタイプなのでね。寛容さとは程遠い〜〜〜〜

 

 

 

あとこのもっと寛容でありなよ〜と思うこと自体が寛容ではないのかな……とか……相手に寛容さを強いてる時点でもしかしたら私の寛容でありたいという意識はその辺に関しては作用しないのかなとか

 

 

でもみーーーんながある程度寛容である社会になれば、多分たくさんの人が生きやすくなると思うんだよなぁ

 

 

どこでどんな風に生きても、誰と恋愛をしても、恋愛をしなくても、どんな職業であっても、結婚をしてもしなくても、それが他者への実害がない限り自由であり認められ尊重される世界

 

 

みたいなことをモヤモヤ考えます

 

 

第一歩として私は寛容でありたいけど、まだまだな部分があるから頑張りたいですね