全力疾走はできません

その辺にいるオタクの妄言

SMAP解散報道を見て


まず初めに言っておくと私は芸能人に本当に本当に本当に疎い方です。二次元オタのためそこから派生して声優の名前はすらすら出てくるけれどそれ以外の芸能人は本当に出てこない。タレントもちょっと新人とかマイナーな人になると全然ダメ。

ジャニーズでデビューしてる全グループ言えるかなゲームとかしたら多分(悪意なく)2グループぐらい言い忘れそう、本当に、全グループ一応グループ名は知ってるんですけども。


そんでさらにメンバー言えるかなゲームされたらダメです。本当にごめんなさい。人数すら怪しい時ある。本当に申し訳ない。歌ってるとこを見たことあったりかっこいいな〜とか思ったことは何度もあるんだけど、ちゃんと名前を把握してる?って聞かれるとすみませんって土下座してしまう。そんなやつがこんなタイトルの記事書くの怒られそうで本当にごめんなさい。


例えばV6ですら私は全員の名前をフルネームで言えない。さすがに顔はわかるし、名前と顔を目の前に出されたら繋げることもできるんだけど、なんだろう、私にとってイノッチは「イノッチ」という単語でインプットされてるからフルネームの「井ノ原快彦」が出てくるか怪しい、みたいな。イノッチの顔も声も喋り方も知ってるんだけどイノッチで覚えちゃってるみたいな。





そんな私でも、SMAPは5人全員の名前を言えます。(森くん以外になりますが)

私が生まれる前からSMAPはこの世に存在していました。

物心ついたときにはテレビの向こう側に、そこにSMAPはもういて、歌って踊ってしゃべってました。

それは、今日までずっと見ていた光景でした。



小学生の時、教科書に載っていたのか、いや載ってないかもですね、でもとにかく全校生徒で「世界に一つだけの花」を歌った記憶があります。

慎吾ママのCDが実家にあったはずです。

ふとテレビから流れてくる曲が、タイトルは思い出せなくても「SMAPだ!」「オリンピックで使われてた」「某シャンプーのcmに使われてた」「好きだった」みたいな情報と共に思い出されることもよくあります。


私にとって、いつの頃からか、いえ生まれた瞬間からかもしれませんが、SMAPという存在がこの世にいることは当然で、自然で、当たり前で、そのことを疑ったことなどありませんでした。


私はSMAPのファンでもなんでもないし、私がSMAPのことで知っている情報も限りなく少ないです。曲も1番なら歌えるけどCメロはわかんないな……とかいっぱいあります。好きだ、嫌いだ、といった強烈な感情は持っていません。普段ならどちらかというと無関心に近いかも。

メンバーの誰々が出てるからドラマ見よう、このバラエティー見よう、とはならないから。大好きとは言えないです。誰々がいるからこれは見ないとかも言い出さないので嫌いでもないです。


テレビをつけてそこにいることは、いつものことで、そこに何か大きな意味や感情を持ったことはなく、だから無関心と言えるんじゃないかなと思います。


そんな私でも、SMAPという存在を知っていてSMAPという存在が歌ったり踊ったりしているのを見るとワクワク楽しくなりました。

紅白や、その後のジャニーズのカウコン。私ジャニオタでもなんでもないんですけど、ジャニーズのカウコンのあのお祭り感が好きで毎年紅白の後に見てました。CDTVの方のSMAPを見ることもありました。


私がいつ、どうやってSMAPと出会い、SMAPのメンバーを認識し、名前を覚えたのか、わかりません。


例えば嵐はハッキリと覚えています。嵐もジャニーズの中で全員の名前が言えるグループなんですけど、彼らに意識的に出会ったのは小学校高学年のとき。友達がこっそり学校に持ってきた雑誌できちんと認識をして、そのあと「山田太郎ものがたり」と「Happiness」でバッチリ覚えました。


でもSMAPは、いつのまにか私の脳内にインプットされてました。

名前を意識的に覚えようとしたこともないのに、フルネームがすぐ思い浮かびます。



それぐらい、SMAPは私にとって日常の1つでした。


根拠もないのに、いつまでもSMAPという存在はあるものだと思っていました。




もちろん、これから時代も変わるし本人たちも年を重ねるし新しいスターはきっと出てくるし、そうやって、自然なことの1つとして、彼らの露出が減っていくんだろうなとは思ってた、と思います。というか、そうやって露出が減っていったとしたら自然なことの1つとして受け入れていたと思います。


だって露出が減ろうとなんだろうと、私にとっての日常が緩やかに変化するだけで、SMAPという存在がこの世にあることは変わらないのだし。




だから、今年最初の方であったSMAPの報道を見たとき本当に本当に驚きました。自分の胸が、スッと冷えたような気がしました。

当たり前が当たり前じゃなくなるかもしれないと。

普段はメンバーの誰かが出てるからなんて理由でテレビつけないくせに、本人たちの会見が流れると知るとテレビの前でスタンバッてました。バイトなくてよかった〜生で見れるとすら思ってました。


あの会見、なんとなく怖かったとか、そういう話は置いといて、それでも徐々にその報道が消え、日常に戻っていき、ツイッターで彼らの解散しないよ!って言ってる画像が流れてくるのを見て、あぁ良かった、SMAPは無くならないんだなって安心しました。


安心、してました。


8月13日の夜。
ツイッターのトレンドにSMAP解散の文字が見えた時、あの時と同じように自分の胸がスッと冷えたのを感じました

でもその時出てたソースは、サイゾーのみでした。サイゾーで明日発表あるらしいで!みたいな記事が出たと。

サイゾーなら嘘じゃない?とネットをよくやるオタクである私は思いました。だってあそこたまに嘘書くし……信憑性薄いなぁ……と。サイゾー以外にも書いてるとこがあれば別だけど、サイゾーだけならそりゃガセでしょうと。



その数時間後、ツイッターを見ていた私に飛び込んできたのは、RTでまわってきたYahooニュース(日刊スポーツ)の記事でした。

ジャニーズ事務所からFAXが送られてきたこと、5人からのコメントがあること。

解散が、本当で、真実であること。



動揺しました。ふーんで流せなかった。

これがテレビで見かけたことのある、ぐらいのバンドやグループだったら、多分一瞬「えっ?あの曲の?」って、戸惑って、それでも引きずらなかったと思います。

「ふーんそっか、残念だなぁ、あの曲好きだったなぁ」

そう言って終われたと思います。



SMAPは、終わらせられなかった。




なんで?だって一回解散しないような会見したじゃん。確かに解散しませんって明言したものではなかったかもしれないけど、でも続けると思ってたのに。

私は、SMAPに対して特別な感情は抱いていないけれど、それでも動揺しました。

当たり前に、普通に、当然のように、自然と存在しているものが、今後は無くなるという、その事実に、驚きと、悲しみと、虚しさを覚えました。



長い間のグループ活動で、何かすれ違いや、歪みや、いろいろあったのかもしれません。事務所とのトラブルもあったかもしれません。

でもファンでもアンチでもなかった私は、そんなことは全然知らなくて、ただそこにいて、そこにあることが普通で、SMAPはそんな存在でした。



インターネットは便利なので、ちょっと調べれば色々な情報を得られます。事務所内に派閥があるとか、マネージャーがどうとか、そういうこと。

私は、どれが真実で、解散の理由は何で、なぜいまそれを発表したのかとか、そういうことはわかりません。


ただ私にわかるのは、なぜか私がきちんと認識していて、ファンとはいえなくともある程度好意的に感じていて、テレビの世界に存在することが普通だった「SMAP」という存在が死んでしまう、それだけです。

そう、SMAPという存在の死のように私は感じました。



今回の解散報道で、様々な人が自分の好きなバンドや、アイドルや、そういった人々に想いを馳せているのを見かけました。

もしかしたら明日自分の好きな人たちも終わるかもしれない。だからできるだけ会いに行こう、そういったツイートをよく見かけました。


私はなぜか、親のことを思いました。

私が熱烈に好きなバンドやアーティストがいないから、かもしれません。この歌手のCD揃える!とかあんまなくて、あっ好きな曲だなーと思ったら買う、みたいな人なので。

でも一番の理由は、親という存在とSMAPという存在を近く感じたからかもしれません。


私が生まれる前からこの世に存在して、物心ついた頃には当たり前のようにそこにいて、意識しなくて気がついたら脳内にインプットされてて、

そして根拠もなくなぜか明日も明後日も、その先もいるものだと思っている存在。



私の両親は幸いなことに元気なのですが、明日死ぬ可能性は否定できません。私が普段意識してないだけで。



それを、なぜかSMAPの解散報道でふと思いました。






SMAPは、芸能人に疎い私でもメンバー全員の名前をすらすら言えて、曲もいくつか知ってて、思い出に寄り添ったものもいくつもあって、そしてそこにいて当たり前と感じていた存在でした。

そんな存在が、「SMAP」というグループが、今年で終わってしまうことに、私はまだ戸惑ってます。

ファンでも、なんでもないくせに、戸惑ってしまいます。



それぐらい、SMAPという存在は日本の中で大きかったのだと思います。


2016年12月31日まで、私にとって日常の一コマでしかなくて、それでもそこにいることが自然だったSMAPを、その日常のように感じてるものは儚くていつ消えるかわからないのだということを意識しながら、しっかり見ていたいと思います。





私はファンと名乗れる存在ではないけど、それでもたまにあなたたちの歌ってる姿や、踊ってる姿を見かけると、楽しくなりました。その姿が好きでした。


私の日常の一コマを、楽しいものにしてくれてありがとうございました。