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全力疾走はできません

その辺にいるオタクの妄言

高校を辞めた話(2)

高校を辞めたシリーズ

さて、前回は夏休みあけて通院をしだしました、というところで終わりでしたね。


母に連れられて心療内科(だったはすです)に受診しだしたのが、夏休みあけ。おそらく、9月か10月でした。

この頃になると、まあ家で私は笑わないわ、むしろ泣くわ、夜は寝付かない朝は起きない、気持ちが悪そう、課題に追われている、明らかに様子がおかしい、みたいな感じだったと思います。すみません自分の感情に必死でどうだったかきちんと把握できてない。

ただ、うーん、これ書くの少し恥ずかしいんですが、母にすごく頼りだした時期もこの辺だったかと……夜眠れないのを心配した母が、よくそばにきてくれていました。
多分、本当は、ただ母の体温を感じて安心したかっただけだったと思うんですけど、うまく伝えられなくていつも「背中がかゆいからかいてほしい」なんて言ってました。母はその甘えに答えてくれていました。
眠れない日も、母に背中をかいてもらって、隣に母がいる安心感なのかわからないけど、そうしていると眠れました。


心療内科では、まず医師の先生と母と3人でお話(母がメインでこういう感じなんですと言っていたと思います)をして、そのあとカウンセラーのお兄さんと2人でお話しました。まず私と2人、その後母とお兄さんが2人で話していました。母とカウンセラーのお兄さんが何を話したかは知りません。その時も今も改めて聞いたことはないです。


私は何か診断名がついたりすることはなく(強いて言えば適応障害と言われたような気はする)、ただ眠れないのでそれ用に緊張を解く薬(よく覚えてない)みたいなのは処方されてました。
2種類薬あったと思うんだけど効用なんだったかな……漢方も飲んだはずです……

カウンセラーのお兄さんとは、いろいろなお話をしました。これからどうしたいのか?何が苦しいのか?どうしてそう考えちゃうのか?お兄さんがこちらに何かを決めつけるように言ってくることはなく、私の話を聞いて、こうなのかな?と質問をして、肯定してくれて、そして前向きなアドバイスをくれる。そんな感じでした。とても心地よかったのを覚えています。

その頃は高校をやめたくない、卒業したいと思っていましたので、お兄さんに最初にされたアドバイスは「1日5分でいいから机に向かう」でした。もう課題に手をつけることが難しくなっていたので、そういうところからのアドバイスでした。

5分は絶対に机に座って課題と向き合うと決めよう。5分たって苦しかったらそこで止めればいい、もしできそうなら5分より長くしてもいい。それで5分を毎日できるようになったら時間を少しずつ伸ばしていけばいい。

そういう約束をして、できる限り毎日、課題や予習に取り組むようになりました。たった5分でしたけどね。

他にも色々話をしました。自分がどう育ってきたか、なんで完璧主義なところがあるのか、そういうことを自分で考えて自分で理解して自分で納得する、そんなカウンセリングでした。たまに泣いてしまうこともあったけど、お兄さんそういうときも優しかったなぁ。


薬の力も借りて、カウンセリングの効果もあり、少しずつ私は前を向けるようになりました。本当に少しずつですが、学校に行くのが前より苦痛じゃなくなったり、ちょっとだけ前向きに考えられるようになったりしました。

もちろんそれには母や父の支え……そしてこの記事で全然触れてませんが4歳下の妹の我慢があったからだと思います。

妹には本当に申し訳なくて。一度「どうして私は学校に行って宿題もしてるのにお姉ちゃんはしてないの?」と母に言っているのを聞いてしまってからは本当に申し訳なくて。いいお姉ちゃんでいたかったのにと今でも思います。ごめんね。

そしてもう一つ、これ高校一年生の、秋か冬なのは覚えてるんだけど、正確な時期がわかんないな……母に連れられてある大学の(おそらく)心理学の教授の方にも何度かお会いしました。
なんでかわからないけど私この先生が少し苦手で……でも母が連れてくるのだから会わなければとは思って、月に2回ぐらいだったでしょうか、それぐらいのペースでお会いしてカウンセリングのようなものを受けさせてもらいました。

母がどういう筋からあの先生の元へお願いに行けたのかとかそういうのわからないのに、今考えるとちょっと苦手という理由でなんとなく嫌がったのは悪かったなぁと思います……。
この先生からもいくつかアドバイスをいただいてました。その中で今でもよく覚えているのが、考え方です。

「〜しなくちゃ」「〜をせねば」って考え方はやめたほうがいい。それは自分を縛って追い詰めるから。「〜やろう」「〜やってみよう」と考えるといいよ。

それは今でも大事にしてて、苦しい時に自分の思考を振り返ると「〜しなくちゃ」「〜やらなきゃダメだ」みたいに考えてること多いんですね。少し変えて「〜のために〜をやろう」と思うと少しだけ楽になりました。

あ、あとそれから。ツイッターにもお世話になってました。元々ネットをするのは好きで、高校通い出す前からツイッターはしてました。通いだしてからぐるぐるした思考やら鬱な感情をただ吐き出してたんですけど、当時のフォロワーさんで話を聞いてくださった大人の方々がけっこういらっしゃって。本当に、助けられました。「大丈夫?」「無理しないでね」「高校なんて辞めてもどうにかはなるよ、自己責任はつきまとうけども!」「学校か〜がんばれ!無理はするな!」みたいな。繋がっていた人数が多かったわけではありませんが、すごく励まされてました。

そんな感じで、少しずつですが回復してきて、1年生は終わりました。年を越して少ししてからは薬も減ったりして、ああこのままゆっくりでも前に進んで、ちゃんと卒業しよう。そう思ってました。



3月、病院に行ってカウンセラーのお兄さんと話したとき、そのお兄さんが私を担当するのは今日が最後だと言われました。転職がその理由でした。
少しショックというか心細さみたいなものはありましたが、転職はお兄さんの人生の話だし仕方ないと納得していました。お兄さんと話した後、次回から私を担当するという方とお話しました。

この方の何がダメだったのか、今でもわかりません。ただ、ただこの人嫌だなぁと思った。自分の今までの人生を吐露するのも、自分の感覚を話すのもなんとなく嫌だなぁと。具体的に何を言われたか覚えていませんが、何か言われて瞬間的にそう思ったのは覚えています。多分、なにか決めつけられたんじゃなかったかなぁ

母もそれを感じたのか、私が嫌だと思ったのに気がついたのか、もうその心療内科に行くことはありませんでした。

正確には、病院に行く日、私が疲れていて少し昼寝をして(予約が夕方だったので)行こうと思い寝ていて、目がさめるともう予約時間は過ぎていました。
母に慌てて聞いてみると「あの人苦手でしょう?」みたいなこと言われて、それから私が行くことはありませんでした。母は、もしかしたら、一度ぐらいは行ったのかもしれません。その辺はきちんとしている母でしたから。


そして、私はなんとかかんとか2年生になりました。

あー、あまり書いてませんが、1年生の時のクラス担任にはたくさんお世話になりました。学校に行きづらくなったときから励ましてくれたり、ゆっくりでいいと言ってくれたり、1年生が終わる時にも「無理はしないで頑張るように」と声をかけてくださって、優しい担任でした。

2年生になって、新しいクラスになって、担任も変わりました。担任となったのは私の苦手な英語の担当教師で、弱ってる私にとってはそれだけで少し苦痛を感じました。これ私が悪いだけなんだけど。

ぶっちゃけますとその担任のことめちゃくちゃ苦手でした。うん、なんだろう、きつかった。

あーこの人苦手だ、と思った初めの出来事は最初のホームルームだったと思います。
初めて見る顔もいるだろうから自己紹介を。なら普通の流れなんですけど、それじゃあつまらないから他己紹介をしようと言われました。
嫌だったー!これ!本当に!嫌だった!
1年時のクラスにわかれて、そのクラスごとに前に出て◯◯さんはこういう人ですって言うやつ。本当に本当に嫌だった。

私と2年で同じクラスになったの、1年の時に多少私の現状を知ってたりお昼一緒に食べたりしてたグループは誰もいなかったんです。クラスメイトだからそりゃ喋るけどめちゃくちゃ仲良しな相手はゼロ。しかも休みがちな私をどう他己紹介するというのか。 本当に嫌だった。

でもまあそれだけなら私が悪いし、なんだろうちょっとムカつきはしてもこんなに嫌だとは思わなかったかもしれません。

この他己紹介方式が嫌だった理由は他にもあります。

通っていた高校、留年する人や退学する人が一定数出るところだったんですね。進学校ゆえになのかもしれませんが。

うちのクラスにも、3年にあがれずもう一度2年生って人がいました。いたはずでした。多分、引きこもってしまって出席日数であがれなかった人が。

その日その人は休んでました。でも、あの先生はその人がいたらどうするつもりだったんだろう。

普通に自己紹介にしたかもしれません。でもその人が休んでいるから他己紹介というのも嫌だなぁと思ったし、もし出席してても他己紹介やってたら本当に嫌だ。

だって、その人と去年同じクラスだった人は、そのクラスには存在しないのに。

出席日数が足りないということは、学校を休みがちになった生徒ということで、その生徒に新年度早々そんな目に合わせたかもしれない、その先生は私の中では苦手で嫌いで仕方なかった。

その、留年したその人は、もしかしたら今の私が、未来の私がなったかもしれない姿だからこそ、そう感じたんだと思います。


そしてもう一つ、その先生を受け付けなくなった原因があります。初日、だったと思う。先生に呼び止められて会話をしました。

「1年生のときの話は聞いているけど、もう2年生になったしちゃんと頑張れよ」

そう言われました。
あっ、無理だ、そう思いました。

他人から見れば甘いところなんてたくさんあると思います。でも、1年生の頃の私はあれでも必死に頑張ってました。予習も課題も不十分だし、テストやれば追試受けまくる生徒だったけど、それでも出席日数足りる程度に必死に学校に来て、必死に、私なりに必死にやってました。

ちゃんと頑張れよってなんなんだろう、そう思いました。1年生のときの私は頑張ってなかったのかな。頑張ったつもりだったんだけどな。学校来るだけ、それだけのことも頑張らなくちゃいけなくなった私みたいな生徒の気持ち、この人にはわからないんだろうな、そう思いました。

辛くて仕方がなかった。通院して、薬飲んで、カウンセリング受けて、そうやってやっとちょっとずつ前向きに登校できるようになって、そうなってきた今までの私を否定されてような気持ちになりました。頑張ってるのに、頑張ってないんだなって。

もちろん、ちゃんと予習して課題出してテストで結果出してる生徒のほうがえらいし、頑張ってる、そう思います。わかってます。でも、あの言葉は、不登校になりかけた、いいえなりかけている生徒にかける言葉ではなかったのではないだろうか。そう思います。

そんなわけで私は2年生にあがって早々に学校に行ってみんなみたいになれるようにしようという気持ちがぺしゃんこになりました。


なんとなくキリがいいのでここまで。こっからがまた長いもので……

次回はぺしゃんこになってからのさらなる追い討ち、そうだなぁ夏休みぐらいまで書けたらいいかな