全力疾走はできません

その辺にいるオタクの妄言

ユーリ!!! on ICEの世界観が大好きだという話 (10話を見て)

 

10話〜〜〜!!!!!

 

 

7話感想でも色々言ったしそこから勇利とヴィクトルの関係性について感じたものは変わっているかもしれないんですけど、その辺書くのは置いといてとりあえずタイトルに書いたことを書こうと思います。

 

 

10話でいいなぁと思ったシーンがありまして。

クリスが勇利とヴィクトルのお揃いの指輪に気がついて「指輪どうしたの?」、それを受けてピチットくんが「結婚おめでとうー!!」「みんなー!僕の親友が結婚しました〜!!!!」、そしてそれに拍手するオタベックたち、そして他のお客さんたち……

 

あのシーンめちゃくちゃいいなぁと思ったんです

 

いやあれが本来あるべき世界だと私は思っている方なんですけども

 

 

 

勇利とヴィクトルは人種も国籍も違って、それから同性で、もしかしたら今の世界では何か言われてしまうかもしれません。

 

嫌悪かもしれないし他のもっとプラスに見える発言でも、なんでもいいんですけど、とにかくまるで「特別」かのような扱いをされる、ことがあると思うんです。

 

 

あの瞬間、YOIの世界では誰もあの2人を特別扱いしませんでした。

 

ただ愛し合っている2人がいることをそこに認識して、その2人が結婚する(まだわかりませんが)という事実をただ祝福する

 

愛し合っている2人が結ばれるのは当然であり祝福されるものであり、そこに人種、国籍、性別は関係ないのだと、そういう世界だとあのシーンは象徴しているようで私はただただ嬉しくて仕方がなかった。

 

 

 

ユーリ on ICEの世界は愛を否定されません。

 

人によって誰かからの愛を拒否することはあります。ポポと元カノとか。サーラとミケーレもそうかもしれません。いやサーラのあれは拒否かと聞かれると微妙な気がするんですけど、一種の拒否ではあったと思います。

 

でもサーラはその愛を否定はしません。

 

ユーリの世界は愛がたくさん描写されています。恋愛、性愛だけではなく、家族愛だったり友愛だったり親愛だったり兄弟愛だったり愛国心だったり、色々。

 

でもその愛そのものが茶化されたり、おかしいものとされたり、そういう否定に繋がる描写はない(ように感じます)

 

 

 

 

私はその世界観が大好きで、はやくこの現実世界もそうなって欲しいと思うのです

 

 

 

 

というか元々私は(二次創作ではない)作品が「男性同士の恋愛を扱っている」という理由だけでBLと呼ばれるジャンル分けがなされ、まるで特別なジャンルであるかのようにされていることに違和感があったタイプで……いや男性同士の恋愛をメインに描いているからBL、なのはわかるんですけど……他の要素も描かれていたり他の要素も大きいものまでただ「男性同士の恋愛が描かれているからBL」とされるのがこう……違和感があるのです……

 

こんな私なのでユーリ on ICEの世界観や作品としての立ち位置、愛の扱い方がとても心地良いのです

 

 

 

あと前々から言葉のチョイスがいいなぁと私は思ってまして!

勇利はよく「彼女いたことない」というような発言をしています。ちなみにそのあたりからヘテロなのかな〜思ってるのですがわかりませんね。

ヴィクトルですよ。ヴィクトル、彼は勇利に過去の恋愛を聞くときに「恋人」て単語を使うんですよね。恋人。彼女じゃなくて恋人。 

 

この配慮最高だと思いません?!

 

相手の恋人の有無を問う時、私もまだやってしまってその度に反省しているのですが、「彼氏いるの?」「彼女いるの?」って聞くことがあると思います。でも相手のセクシュアリティをきちんと把握しているわけではないんですよね。

相手のパートナーの性別を無意識に異性だと思ってないとこの質問にならないじゃないですか。

 

でも「恋人」という問い方は相手のパートナーの性別を決めつけることなく、ただ恋愛関係にある人はいるのか?という問い方で、それはとても素敵な言葉のチョイスだと思う

 

 

 

ヴィクトルと勇利の関係がこれからどうなるのかまだわかりません。2人の間にある愛が性愛を伴っているのか私にはまだわからない。

数年先、お互い別のパートナーと結婚してそれで連絡取り合って家族ぐるみで仲良くしててもおかしくないなと思うし

本当に2人が結婚していてもおかしくないなとも思うし

 

どっちにしても、勇利が会見で言った「愛のようなもの」を2人が今後も持って生きていくんだろうなぁと思います

 

それぐらい勇利とヴィクトルは丁寧に関係性を積み上げてきて、愛があるのだと説得力を持って訴えかけてきていて

 

そしてそれは差別や偏見を受けるものではなく、ただ愛は素晴らしいと、否定されるものではないと、そう描写されている。

 

 

元々フィギュアスケートを見るのが好きだったので、そういう意味でもこの作品は大好きですし、同時にあの世界に生きる彼らの2つのL(LIFEとLOVE)が丁寧に描写されているということでも私はこの作品が大好きです。

 

 

 

 

ていうか最初の方の話に戻っちゃうけどユーリのやろうとしてること、やったこと本当にすごいと思うんですよ。

 

まっすぐただただ2人の愛の物語をきちんと描いているというか。

仮に恋愛関係だったとして、ピチットくんの「結婚おめでとう!」が真実になるとして、その中で男性同士の愛をからかうことなく『あぁそうなんだ』とただ受け入れる世界。ホモフォビアのない世界。それを堂々と描いている。

 

 

いやなんかもう、すごいとしか言えなくなるんですけど。

なんかね、BLならBLだと最初から言えみたいな意見をお見かけしたんですよ。

 

でも多分この作品のやろうとしてることってそれに対してNOを言うことじゃないですか。

 

何度でも言うけどあの2人が恋愛関係にあるかは明示されてません。いや指輪交換したけども。そんでも明示も明言もされてないのね。私は2人が恋愛関係であっでもなくてもどちらでも納得できるなと今のところ思ってるんですけど。

でもあの2人が絆と愛で結ばれてることは誰が見ても明らかでね。

 

 

前の感想でも書いた勇利のGPS会見の発言を少し引用します。

 

「愛、それはわかりやすい愛や恋ではなくて、ヴィクトルとの絆や、家族や、地元に対する微妙な気持ち。ようやく、自分の周りにある愛のようなものに気づくことができました。初めて自分から繫ぎとめたいと思った人、それがヴィクトルです。その感情に名前はないけど、あえて、愛と呼ぶことにしました」

 

 

たぶんこれが答えなんですよ。

 

別に男性同士の愛についてだけではなくて、ユーリ!!! on ICEはあらゆる枠組みやレッテルに対してNOを言う作品のように思います。

 

勇利とヴィクトルの関係性に名前はないかもしれない(選手とコーチだけじゃないし、恋人かはまだわからないし、婚約者かもわからない)。でも名前なんてなくたっていいじゃないかと。

 

そこに愛や絆があることは間違いなくて、そしてそれは誰からも偏見や差別を受けるものではなく、祝福されることなのだと。

 

今後別々の道を歩こうと、共に生きていこうと、はたまた何か他の将来であろうと。その愛は否定されることは絶対にないのだと。

 

 

 

 

んんーまあざっくりこんな感じでしょうか!

他にも色々あるのですがとりあえずこの辺で。

 

最終回まで楽しみです。

私がうたプリ4期(マジレジェ) 音也回(9話)をうまく消化できてない理由を考えてみる

 ※多分普通にネタバレかますので嫌な人は今すぐ逃げてね!!!!!!!!!!!

 

ゲームはrepeat、debutを途中まで(音也は攻略済み)、music1.2がプレイ済みです。

で、アニメは今まで全部見てる。

 

 

なぜか音也回(9話)が自分の中でうまく消化できなかったので、なんでなのかなーと色々考えてみます。

 

 

一応これを読んでいる方はdebut音也ルートと9話を見ている前提で話していくからネタバレしたり逆に説明省いたりするけどすみません!

 

 

 

私ね、音也回が鬱回だから嫌だったんじゃないんですよ

 

最初はね、「瑛一なんで横に座ってるんだよwww」みたいに普通に笑ってたんです

 

で、だんだん音也がこう……闇の方に引っ張られていくじゃないですか……そこも「音也;;」となりつつ普通に見れてたんですよ。

 

自分の中で「は?ちょっと待って?」て思い出したのが合宿先で瑛一が音也の調査書をばら撒きひまわり畑の絵を見せて燃やしたあたりです。

 

えっ?

 

なんでそういうことする?!みたいな

 

しかもそれで闇落ちして目から光が消えた音也と瑛一が歌って

 

えっ?!?!ここで歌うの?!終わるの?!と戸惑いが隠せませんでした。

 

 

 

debutでも音也は過去の体験(具体的に言うと母との死別等々)を思い出し、トラウマのようになっていたそれに、それまで心の奥底に隠していた気持ちに引きずられて、わかりやすい言葉で言うと「闇落ち」みたいな状態になります。(最終的には過去と向き合いきちんと前を向いて笑ってくれるんですけど)

 

今回のアニメの話としてそれがやりたかったことはわかるんです。

 

 

アイドルたちの成長を描くためには、自分自身と向き合うことは絶対に必要だし、音也の場合それは今まで見ないように考えないようにしてきた過去です。

 

私別に音也にいつも笑ってて!落ち込むなんてらしくない!闇落ちなんてしないで!って言うつもりは全くないんです。

 

debutのシナリオめちゃくちゃしんどかったしきつかったけど嫌いだったわけじゃないんですよ。

 

「一十木音也」を形成するものとして過去は外せないし、それといつか向き合うことも絶対に必要ですし。

 

 

でもそれをデュエットソングでやる必要あった?!て気持ちがまずあるんですね。

 

まあね、ここまでST☆RISHの仲がかたまり、春歌との仲も進展させるのは(アニメでは)難しい、となったら別角度から何か起こすなら新キャラがやりやすいのはわかります。

単純にそれまではいなかった視点ですからね。

 

理屈ではわかってるから、私がいまいち感情が追いつかないだけなので、この「デュエットでやる必要ありました?」て疑問はまあ、ワガママだと思います。

 

 

 

 

 

私が一番引っかかってるのは、多分、解決せずにデュエットの曲ができてしまったから、だと思います。

 

 

 

音也が過去と向き合い、自分の中にある暗い感情を認識して、受け止めて、解消していく過程は必要です。

 

でも、音也がその過去と向き合った結果、その暗い感情に取り憑かれることが正解(正解って言い方変かもしれないけど)ではないじゃないですか。

 

自分の中にある暗い感情を認めたうえで、それもひっくるめて乗り越えて笑うのが音也であり、本当の意味で成長したと言われる結果はそれであるはずだと思うんです。

 

 

 

これまでの他のアイドルたちもへぶんずたちと色々あって自分自身やその周囲や環境やそういったものと向き合って、受け止めて、成長して、それで出来上がるのがデュエットソングでした。

 

そうだと思ってました。

 

 

だから、私は音也に闇落ちした状態でのデュエットソングを披露してほしくなかったし、私が聞きたかったのはそれじゃない、と思ったんです。

 

 

過去と向き合い、暗い感情に気がつき、それを認めたうえで受け止めて前を向いて笑っている音也の歌うデュエットソングが聞きたかった。

 

デュエットソングの2番がせめてそうやって成長した音也だといいなぁと思ってるんですけど、どうなんだろう。

 

 

 

 

あともう一つ引っかかっているのが、そもそも音也が過去と向き合うことになった経緯です。

 

debutだと仕事のドラマで親を亡くす展開がありそれで自分の過去と重なって〜て流れだったはずなんですけど。

 

瑛一がね、例えば直感的に音也の暗い感情に気がついて色々ねちっこく言ってるとかならまだ納得しました。

 

 

アイツ過去調べ上げたうえでやってやがった!!!!!!!!!!

 

 

 

音也の過去って、他人が簡単には触れられないすごくすごくデリケートな面だと思うんですよ。

 

いくら本人がカラッと施設での話をしていようと、それを他人が勝手に暴くのは違うじゃないですか。

 

しかも亡くなった実の母親のことや、ひまわり畑のことや、そういった、彼が自ら話をしてきた部分ではないところじゃないですか。今回の話って。

 

 

 

ゲームの方は、誰かが意図的に音也に過去と向き合わせたわけではなく、結果的にそうなってしまった、というもので。

音也の過去を大事に扱ってくれていたと(個人的には)思います。

 

 

今回の話で音也の過去って丁寧に大事に扱われたんでしょうか。

 

私はどうしてもそう思えない。

 

 

他人が、無断で、勝手に、踏み込んでいいはずのない場所に土足で足を踏み入れたこと。

 

それがどうしてもどうしても受け入れられない。

 

 

私はHE★VENSのメンバーは今後のうたプリの世界を広げる大事なキーパーソンとして、新しいアイドルとして、期待してた方なんですよ。

 

(これ9話だけの話じゃなくなっちゃうけど)でもそのHE★VENSは今まで、メンバーにもよるけど、ヘイトを貯められてしまうキャラクターとして使われているように感じてですね、それもなんとなく嫌だったんですけど。

 

 

瑛一の行為を私は許せるときが来るのかなとぼんやり悲しく思います。彼らも応援したかったのにな、みたいな。

 

 

 

 

そんでこれは完全に私怨になってしまうんですけど、音也でこんだけゲームネタ取り入れて自分と向き合わせて成長させるならなぜ他のキャラにももう少しこういうことをしない?!?!いや、掘り下げとか成長した子もいるんだけども!!!!!

 

 

 

いやもう名前だしちゃうんですけど、私さぁ、来栖薫くんと翔ちゃんの関係性がとてもとても好きなんですね。

 

その!翔ちゃん!翔ちゃんなんで龍也さんの話ばかりなんですか?!いや私も龍也さん大好きですけど

 

 

「来栖翔」という人物を作り上げたものとして、もちろん、龍也先生の存在は欠かせません。ずっと憧れて目標としてきた人。その事実は翔ちゃんを作り上げる大事な要素です。

 

でも同じぐらい薫くんの存在も翔ちゃんを作り上げる大事なパーツだと思うんですよ

 

アニメで薫くんがなかったことにされてるなら(それはそれでブチ切れる案件だけど)まだ納得します。

 

でも今まで薫くんの名前や幼少期の姿出てきてたじゃん……薫くんはいるんでしょアニメの世界にも存在してるんでしょ……

 

 

なんかね、ああ今期も薫くんの存在は出てこなかったなぁ、て少し落ち込んだんですけど。(翔ちゃん回のシナリオ自体にもうーーーんと思った部分もあるんですけど)

 

 

なんか……音也回のシナリオや展開にも不満はたくさんあるんだけど、音也はそれだけ過去の話やゲームで出てきたネタや設定が使われるのに、翔ちゃんや、他のアイドルは、なんかこう、ああ、みたいな、言葉にしたくないけど、そうなのかみたいな。

 

 

そういう、そういうモヤモヤもあって。

 

まあでもこれは私怨です。完全に私怨です。

 

 

えーーーっと。これぐらいにします。

あんまりマイナスなこと書き残したくないけど、自分が納得するために一度書いてスッキリしたかった。

 

なんか、全部私がうまく消化できてないだけと言われればその通りなんですけど

 

 

 

10話で納得できる展開がきてくれたら嬉しいなあと思ってます。

それは確かに愛だった(ユーリ!!! on ICE7話の感想のようなもの)

 

今日の深夜、8話が流れてしまうのでその前に急いで書き上げようと思います。

 

ユーリ!!! 7話の感想というか7話までの感想というか、7話見て色々な人の感想を読んで思ったことというか。

 

 

 

私7話見ながら泣いてしまったんですね。

というかユーリには何度も涙腺壊されてまして。毎話泣いてるんじゃないか?!て思うぐらいに泣かされてるんですけど。

 

 

1話からそれぞれどのシーンで泣くのか言い出したら多分キリがないのでその辺は今度また書きたいなと思うんですけどね。

 

 

 

ユーリ!!! on ICEは「本格フィギュアスケートアニメ」として宣伝され、そう認識されて始まったものでした。1話でも話題になったのはその作画がメインだったと思います(もちろんストーリーやOPEDも話題になったかと思いますが、あくまでも「フィギュアスケートのアニメとして」だったと思います)

 

 

しかし今現在、フィギュアスケートと共に大きなテーマとして掲げられているものがあると思います。そして多分これは多くの人が感じていると思います。「愛」というテーマです。

 

 

 

「愛」と聞いて何が思い浮かぶでしょうか。

恋愛、友愛、親子愛、性愛……あたりでしょうか。作中で使われているものだとアガペー、エロスなどもありますね。

 

勇利とヴィクトルの関係性ってなんなんでしょうか。

 

 

以前、勇利とヴィクトルはこんな会話を交わしています。

 

「勇利は俺にどの立場でいてほしい?父親的な?兄?友達?………じゃあ恋人か」

「ヴィクトルはヴィクトルでいてほしい」

 

 

 

勇利にとって、ヴィクトルはずっと昔から憧れの存在であり、圧倒的な勝者であり強者であり、美の化身であり、アイドルでした。部屋中に貼られたポスターから見てもわかる。

 

勇利にとってのヴィクトルは、いつも勝者で美しくて他者とは違う次元にいる「ヴィクトル・ニキフォロフ」という偶像だったんだと思います。

 

 

自分とは違うステージにいて追いかけていた存在が目の前にいて、自分だけのためのコーチになった。

 

勇利はなんでも望めました。親でも、一般的なコーチでも、兄弟でも、そして恋人でも。こう接してほしい、こんな存在でいてほしい、そう願えばきっとヴィクトルはそれに応えたでしょう。

 

勇利が望んだのは、ヴィクトルはヴィクトルのままでいてというのは、憧れの存在で、圧倒的勝者で強者で、美の化身で、アイドルで、そういった偶像として見てきたヴィクトルそのもののままでいることでした。

 

 

そうやって築かれていった2人の関係性は何なのでしょうか。

 

描写された通り、ヴィクトルはコーチとしてとても未熟です。

ですから勇利とヴィクトルは他の、一般的ないわゆる「コーチと生徒」の関係性ではないのでしょう。

 

ヴィクトルはヤコフから「自分のことにしか興味がない」と指摘をされており、そしてこれは事実なのでしょう。

 

彼は天才であり、スケーターとして大事にしていることは「みんなを驚かせること」であり、その目線はおそらく、他の選手ではなく観客や世間に向けられています。

絶対王者であるヴィクトルは他の選手のことをおそらく気にしない。自分の前の演技がどんなに良かろうとそれに心から拍手を送ったうえで、氷上へと立ててしまう、そんな選手だったのではないでしょうか。

 

対して勇利は他の選手の演技に影響を受けやすい性格です。彼は彼である意味でドライな一面があり、他人への興味がないのですが、それはヴィクトルのような天才ゆえのものではなく、彼の繊細さゆえのものです。繊細であるがゆえに自分自身のことで精一杯となり、他人への興味を持てない、それが勇利です。中四国九州大会で描かれた勇利の他の国内選手への目線からしても彼はそうして生きてきたのでしょう。

しかし自分自身に精一杯で余裕がないからこそ、他の選手の演技がどうなるのかどんな点数を出すのかを気にするしかない。「負けず嫌い」で「プライドが高く」そのうえ「繊細」である。

 

そんな勇利とヴィクトル、おそらく他者との関わり方が2人ともどこか下手くそなその2人が、ゆっくりと春から交流していくのです。

 

互いに他人に興味を持てず、または距離を置き、そのうえでおそらく2人ともエゴの強い、そうして生きてきた2人が出会ったのです。

 

 

7話。

メンタルが弱っている勇利をヴィクトルは理解できません。当たり前です。だって彼は今まで他者を気にして生きてきたことがないから。天才としての、王者としての人生しか歩んでこなかったから。他の選手の成績に興味を抱くことをしてこなかったから。

 

 

駐車場の2人の会話

ヴィクトルは(選んだ手法はアレですが)、どうにか勇利のメンタルを回復させてモチベーションを上げようと、たった1人の他者のため(観客という大勢ではない)に動きます。

 

勇利は、自分自身が失敗することそのものではなく、それによりヴィクトルに迷惑をかけること、コーチをそれで辞めてしまうのではないかという不安、それを抱いていたこと告げます。

 

他者に興味を持つこと、他者と対等に関わることが苦手だったであろう2人が、互いを思いやりそれが言葉になったのが駐車場のシーンです(選んだ行動は下手くそですが)

 

 

「僕が勝つって僕より信じてよ。黙ってていいから、離れずにそばにいてよ」

 

ヴィクトルにとって初めての言葉だったんじゃないでしょうか。

 

天才であり王者でありエンターテイナーである彼が、ただただそばにいることを望まれること。

彼は要求されてきたはずです。天才で、王者で、エンターテイナーで、美の化身である彼は、その演技を、言葉を。それらしいものを。平凡である私たちを驚かせてくれる何かを。

 

 

そんなヴィクトルは勇利の演技が始まる前も理解できていません。黙ってていい?こういうときコーチはどうするべきか?だって今までそんな行動取ってこなかったから。初めてのものだから。

 

 

そして勇利の演技が始まります。その勇利を見つめるヴィクトルはこれまで以上に氷上豊かに、感情豊かに描かれていました。

 

これまでの話で見せてきた、「圧倒的勝者のヴィクトル」ではなく、この7話通して悩み、理解できず、戸惑う、等身大の人間のヴィクトルが7話ではじめて現れます。

 

私は、はじめて「ヴィクトル・ニキフォロフという人間」と出会った気がしました。

 

神のような存在だったヴィクトルから、人間となったヴィクトルに捧げられた演技(勇利は演技中ヴィクトルのことしか考えてないのでこう言って間違いないと思う)、それはヴィクトルに驚きと感動をもたらすものでした。

 

 

演技が終わった勇利にヴィクトルはキスをします(勇利以上に驚かせる方法はこれ以外思いつかない、ハグはこれまでにもしてる、のでキスと判断してます)

 

 

そして氷の上に倒れこむ2人には声援と拍手が降り注ぎます。

 

 

 

あの瞬間の2人にはどんな感情が流れていたのでしょうか。

 

友愛の可能性も、恋愛の可能性も、性愛の可能性も、どれもゼロではありません。

 

でもなんていうか、あの瞬間の2人にはまだ誰も名前のつけたことのないものが流れていたのではないかなと思います。

 

 

勇利はGPSの記者会見でこう言います

 

「僕の愛、それはわかりやすい愛や恋ではなくて、ヴィクトルとの絆や、家族や、地元に対する微妙な気持ち。ようやく、自分の周りにある愛のようなものに気づくことができました。初めて自分から繫ぎとめたいと思った人、それがヴィクトルです。その感情に名前はないけど、あえて、愛と呼ぶことにしました」

 

多分、これが答えなんじゃないでしょうか。

 

ヴィクトルから勇利に対する思いも、勇利からヴィクトルに対する思いも、すべて、まだ名前はないけれど、でもとにかく愛と呼ぶものなのだと。

 

あの瞬間、2人の間に愛があったことは間違いがないのだと。

 

 

それはあの2人だけではなく、先ほど述べた歓声や拍手からもわかるとおり、観客たちもが持合わせていたものではないでしょうか。

 

勇利の演技に対する拍手でもあり、それを生み出した2人の絆(愛)に対する拍手でもあるのだと思います。

 

 

 

私たちが愛と聞いたとき、多分一番最初に思いつくのが恋愛だと思います。それか家族愛かな。そういった種類のもの。

 

でもユーリ!!!で描かれている愛はそれだけではなくて、もっと広くて、大きくて、そんな愛だと思います。

 

私たちに「恋人ではない、家族でもない、友達でもないけれど、それでも深い愛があるはずだ」と伝えてきているのではないでしょうか。

 

 

8話。

もう1人のユーリであるユリオが出てきます。

これまでも描写されてきましたが、今後彼の愛も描写されるのでしょう。

 

これからのユーリ!!! on ICEも楽しみです。

美男高校地球防衛部LOVE!LOVE!最終回を迎えて

 

美男高校地球防衛部LOVE!LOVE!がついに最終回を迎えました。

 

最終回ネタバレはほぼしないです今からその辺にいるメスゴリラが防衛部は最高だ……ってぐだくだ喋ります

 

 

いやぁ、いやーーーーーめっちゃ良かった。本当にとても良かった。

 

今回、最終回を見終わってなぜこんなにもたくさんの人に防衛部が愛されているのか、そして私がなぜ愛してしまったかわかったような気がしました。

 

…………たくさんの人にって書いたけどたくさんの人だよね?大丈夫かな、1期1話で転げ落ちた身として冷静に平等にきちんと見れてる自信ないけどいっぱいいるよね公式ツイッターのフォロワー9万人突破したもんね、たくさんの人だよね。9万人全員円盤買えば3期に繋がるからみんな1巻だけでも買おうな!!円盤フルマラソン組、今から半年共に頑張ろう!!

 

 

 

 

話が逸れました。

 

なんでこんなに愛されているか。

 

 

防衛部の前評判、めっちゃ覚えてるんですけど。まとめサイトとかに書かれてたのをまとめてしまえば「深夜にホモのプリキュアが始まる」「腐女子御用達」みたいな扱いでした。いやまあ、そう見えるよね仕方ないよね、お目目キラキラしたイケメン男子高校生たちがフリッフリの衣装で戦います!て宣伝だったしね。

 

今でもそれは変わってないのかなと思います。変わってないというか、ある意味で事実だった。腐女子御用達とかホモとかそういうのではなくて。プリキュアな部分。

 

プリキュアじゃなくてセーラームーンリスペクトだったと思うんですけど、防衛部は「ヒーローってなに?」「愛って何?」をけっこうまっすぐに描いてると思ってます。

 

いやね、ヒーローなんてやりたくねぇよって彼らは言うしめんどくさいなぁって言うし惰性でやってる部分もあるんだけど、それでもシリーズ通して描かれているのは「ヒーローとは」「愛とは」だと思います。

 

 

ギャグアニメだしクソアニメと言われても仕方ない展開もあるし画面には男しか出てこない(中の人も男しかいない)(ショタ期や子供のキャストすら女性声優をいれず子役の男の子持ってくる)ような作品で、それでも、ヒーローと愛をテーマにされてると、そう、思うんです。

 

 

そんな作品で、大事なのってやっぱりキャラクターだと思うんですけど、そのキャラクターがね、私はすごく大好きなんです。

 

彼らの行動に嘘は1つとしてないんだなと最近しみじみ思います。

 

お話のために動いてないというか。

 

彼らには彼らそれぞれの「行動する理由」があって「性格」があって「考え方」があって「育ってきた環境」があります。それらに基づいて彼らは行動して、それらに基づいて彼らは生きている。

 

どんなに突拍子もない話であっても、そこで息をする彼らに嘘は1つもないんです。

 

彼らの言葉が、行動が、なぜそうなのかが私たちがわかるんです。「理解」できるし「共感」できる。

 

それが大きな大きな魅力のように思います。

 

だからこそ、こんなにも画面の中の彼らを愛してしまうのだなと思います。

 

 

 

防衛部の好きなところにね、人のマイナスな面をきちんと書いてくれるってところがあるんです

 

恨みとか辛いとか悲しいとか嫉妬とか、そういう感情がこの世界に当たり前にあるものとして描いてくれてる。

 

そのうえで、それとどう付き合えばいいのかとか、その感情をどう消化したり昇華したりしたらいいか、そういう、そういうことをね、我らが有基くんは叫ぶんですよね、彼なりの理屈で。彼なりの理由で。

 

我らが有基はもーめっちゃくちゃピュアで純粋で心の底からヒーローを信じてて愛を信じてて、愛されて生きてきたから愛を還元することができて、そういう、すごく「正しい良い子」です。

 

その有基に付き合わされる他の防衛部4人は、先輩ズは、多分面倒だと思うんですよ。

 

 

小さい子と付き合うのって、可愛いけどめちゃくちゃ面倒じゃないですか。夢と希望に溢れてて、現実に対して諦めを持ってない。

 

大きくなってくると私たちが空を飛べないこととか、テレパシーを使えないこととか、美男美女になれないこととか、世界で特別になれないこととか、そういうことを知っていって、ゆっくりと諦めをを覚えるんだと思うんです。

 

先輩ズはそういう現実を見て諦めを覚えた人たちです。自分たちに大きな力がないことを知ってる。自分たちの言葉が届かないことがあることを知ってる。自分の力の及ぶ範囲を知ってる。

 

有基は、知らないんですよね。空を飛べないことは知ってるかもしれないけど、だからといってそれが自分の可能性をすべて諦めることにつながらない。多分彼は「でもいつか飛べるようになるかもしれないじゃないっすか」て言う。

 

どんなに尽くしても言葉が届かないことがある、と言われても「でも何度も挑戦してればいつか届くかもしれないじゃないっすか」って言う。

 

 

そんな有基に付き合うのって、多分、すごくしんどい。自分にはもうない、もう持てない諦めなさを、世界を信じることを、それからうまれる輝きを持ってるから。こっちがどんなに理屈を言っても、感情で返されてしまうから。

 

感情って、すごくすごく強いから。

 

 

防衛部の2年生、3年生組は、そんな有基に少しずつ感化されていきます。

 

それを1期の、特に最終回で感じたし、2期は要所要所にあぁ彼らは少しずつ変化したんだなと思わせるシーンがあって、最終回なんてそれの極みみたいなものでした。

 

 

多分、私たち視聴者も少しずつ感化されていくんだと思います。

 

有基は、あの世界において、そして私たちにとって、大きな大きなヒーローなのだと思います。

 

 

だから、私たちは、毎週毎週防衛部を楽しみにして、頑張れって声をかけたくなって、応援したくなるんだと思います。

 

 

 

ここまで防衛部ばかり話しましたが、もちろん、他のメインメンバーもみんな最高です。

 

生徒会、2期から加入したVEPPerこと別府兄弟、有基の兄である強羅あんちゃん。

 

それぞれ個性豊かで、魅力的で、それぞれのキャラとして嘘なく生きていて、そして他のメンバーと関わって少しずつ変化していく。

強羅あんちゃんは完成された人なので、どちらかというと影響を与える側なんですけどね。強羅あんちゃんの人としての完成され方は本当にすごいしめちゃくちゃかっこいいです。

 

 

 

 

美男高校地球防衛部LOVE!、めちゃくちゃギャグアニメで、すごく真面目にエンタメをやってる作品です。

めちゃくちゃギャグだしメタい部分もあるけれど、勇気づけられたり元気をもらえたりする作品です。

 

 

私は、防衛部に出会えて本当に本当に良かったと思ってます。

 

防衛部ありがとう!!!!大好きだ!!!!